人はなぜ勉強しなければならないのか?(2007/03/10)
日々の過程が手段であり目標
最近ようやく気付いたのは、勉強は人生の目的ではなく、豊かで幸せな人生を送るための手段である、ということです。 一方、その場その場の問題解決の目標として、その手段を目標にしなければならないということにも気付きました。
要するに、日々の過程が手段であると同時に目標なのです。
あのイチロー選手は、打席に立つたびにヒットを打つことを目標にし、その目標に向かって日々練習を続けているはずです。ただ、その彼でも、目標を達成する割合は約3回に1回。あとの2回は失敗しているのです。
だからといって、彼はそのことで野球への思いを枯らせ、夢を腐らせているでしょうか? 練習を放棄しているでしょうか? そんなことはないでしょう。彼はきっと、「次はヒットを打ってやるぞ」との思いで、次のチャンスを狙っているはずです。
大人になってからの、より大きな目標の達成のために、今日の努力が必要なのです。
私たちは、未来の夢に拘束されながら現在を生きています。つまり、今日のあなたの行動はあなたが今見ている夢に大きく影響されているのです。
それに、お父さんやお母さんをはじめ、家族や友達、ご近所の人たちまで、自分を取り巻く人々に助けられたり、プレッシャーをかけられたりしながら生きているわけです。
学生に限らず、人間が一生かけて勉強するということは、手段であると同時に、やはり目標と考えてもよいと私は思います。
このような考えに立って、小・中・高校の本物の教育を考えていきたいと思います。
勉強ではすぐさま結果を求めるのは危険
学問に限らず、本物を追求し続ける心を保ち続け、勇気を持って行動し続けると最適な環境が用意されるという事実があります。
大切なことは、とてもシンプルでカンタンです。成果を出したければ成果が出るまで勉強を続ける。答えはただ、それだけです。
ここでいう成果とは、テストの得点アップだけでなく、正しい学習方法や学習環境や時間のとらえ方ができるようになる、ということです。正しい学習法とは、何か特別の学習方法のことではなく、間違いを間違いと認める勇気や謙虚な心で、同じ失敗を繰り返さないことです。
この時、性急に結果を求めるのは考えものです。勉強にコンビニ思想は危険なのです。勉強はスローがよいというものでもありませんが、要は自然に習うのが一番かと思います。
たとえば、春にチューリップの花を咲かせるためには、前の年の晩秋に球根を植えておく必要があります。けれども、その球根の成長が気になるからといって、芽が出始めているかを確認するために、1週間おきに球根を掘り返して観察していたら、その球根は芽吹くでしょうか?
これは笑い話のようですが、実はこのような心で目先の学習成果に気を取られすぎている生徒さんが意外と多いのです。数学を少しやったかと思えば英語が気になり、英語の勉強中は国語が気になる。今の時間を活かしきれず、時の経過に身をゆだね、一歩の前進もないかのような勉強法が日常の習慣となっている生徒さんに出会うことがあります。このように集中力を欠いたエネルギーの浪費は生命力を枯渇させ、ひどい疲労感を伴った無気力感に襲われるでしょう。
そこで、目標を決めたらあれこれ迷わず、目的地にたどり着くまで自分自身を信じ、前進し続けることです。
ただし、とにかく前進すればいいというものでもありません。車にナビがあれば自分の現在地がわかるように、学習にもナビゲーターが必要なのです。
講師の最大の使命は、あなたが快適な学習環境に身を置き、優しく親切でおもしろい学習指導とコーチングを受けることができるよう、日々サービス提供の技能向上に励み、あなたが希望する目標の達成に誠心誠意、お応えすることであると確信しています。
人は行動することで自らを奮い立たせる
一般に、勉強は誰にとっても決して楽なものではありません。
「勉め、強いる」という漢字が、その本質を表しています。
ところが、その楽でない勉強も、はじめの一歩を踏み出すと、意外に意欲が湧き、いつの間にか時の経つのを忘れるほど集中した――そんな経験を、あなたは今までにしたことはありませんか?
「勉強の大切さはわかっている、でもやる気が起きない」
「うちの子はやればできるのに、なにせ家では勉強しないんです」
こんな言葉を何度聞いたことでしょう。
私は自分の体験から断言できます。やる気が起きてから勉強する、という考えがそもそもの間違いである、と。人は、やる気があるから行動するのではありません。行動することによって、自らを奮い立たせる仕組みを体内に持っているのです。
ですから、大事なのはまず行動を起こすことです。家で自分一人では勉強できないのなら、勇気を出して、塾の門をたたいてみましょう。
あなたに気付いてほしいのは、「おもしろいから学ぶ」も本当ですが、「学ぶからおもしろい」もまた本当だということです。
以上のことから、人間は一生「学び、考え、行動する」必要があると考えます。




