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操縦桿にかけた青春(2004/5/1)

学園の周りを散歩していたら、高田の上空辺りにヘリコプターが5機、仲良く一直線に並んで飛んでいるのが目に入りました。
リーダー機と、これに続く後続の3機は単発機(プロペラが1セットの機体)で、最後尾の機種のみが双発機(前後にプロペラがついている機体)でした。

私はヒコーキが大好きです。それには理由があります。
実は私は、大学で英文学の勉強を志す前に、パイロットの道に進み、テスト飛行(教官との同乗飛行)を含め約70時間ほどですが、富士山と伊豆半島、それに御前崎の3点を結ぶ駿河湾上空でエア・ワーク(宙返り、その他のパイロットとしての技の習得訓練)のトレーニングに励みました。

福岡県の芦屋基地に第21期航空学生として入校し、そこで約1年半、航空理論や英会話を学びました。次に、奈良市の幹部候補生学校で英会話の猛特訓を受け(100名の仲間の何人かは英語の寝言で飛び起きるほど)、処女飛行は山口県の防府飛行場でした。ここでの10時間技能テスト飛行に幸か不幸か合格し、本格的な訓練を受けるべく配置されたのが、静岡県の静浜基地でした。

客として飛行機に乗るのと異なり、訓練は「厳しかった」の一言に尽きます。
エア・ワーク中に、後部座席の教官は意図的に様々な「難問」をつきつけます。
たとえば、飛行中に燃料コックを左翼から右翼に無言で切り替えます。また、コックを閉じてしまいます。もちろん、飛行機のエンジンが止まります。そのままでは、失速して、錐もみ状態で地上に激突です。これに一早く気付き、飛行姿勢を水平飛行に戻さなければなりません。このとき、自分の体重の約2〜3倍の力がかかります。60kgの体重が180kgにもなるのです。体中の血液が座席のおしりの部分に集まります。今同じことを突然やれば、突発的貧血症で、ブラック・アウト(視界が瞬間的に狭くなり、ついに見えなくなること)間違いなしです。

当時は無我夢中でしたから、怖いも何も感じるどころか、とにかく坐学(理論)や教官が(いとも簡単そうに……操縦桿は前後が連動していましたので)スイスイできることがなぜ自分にはできないのか思い悩む毎日でした。単独飛行許可には制限訓練時間内でパスしたのですが、編隊飛行(一種の曲芸飛行)の技術が未習熟のまま訓練制限時間に至り、泣く泣くパイロットの道を断念したのでした。

それにしても、当時の私を指導してくれた教官の条件付の男の愛は厳しかったですが、今思うとありがたかったです。
着陸後、自己嫌悪に陥っている自分に「甘えるなっ!」とばかり、真冬に冷水を飛行服のまま頭からバケツでぶっ掛けてくれた教官のお蔭で、気合が入り、操縦ミスで殉職することもなく(同僚の3人が殉職)、今こうして生きて、お子様の教育に当たらせていただいていることを感謝するこの頃です。

当時の仲間の約3割が、今もベテランパイロットとして、あるいは後輩の指導に当たったり、航空司令官の重責についたり、あるいは今も日本の領空侵犯機へのスクランブルを命じたりして、日本の空を外敵から護ってくれています。

今回のような自己紹介をするのは、塾を興して初めてです。
父の天寿全うで、人間には誰にも何か天命(使命)のようなものがあることを確信し、今後も、ぽつぽつ語っていきたいと思います。

(『まるく通信73号』より一部修正)

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