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思いは枯れて夢は腐る。(2005/10/1)

このタイトルは、四国のとある塾長さんからのメールに使われていた言葉です。
みなさんはこの言葉から、どのような連想をなさいますか?

人は何のために、この世に生を受けるのであろうか?
このことの認識なしに、人が本当の意味で生きがいを実感することは難しいのではないだろうか?

私に言わせれば、人は生きがいを実感するために生まれてくるのだろう。

もっとも大切なことはビジョンを描くことである。夢を描く、と言い換えてもよい。それも、スケールの大きいものほどよい。
そのビジョンを実現させるための勇気と努力と根気こそ、私がスローガンとして掲げるものである。

私が最も不快で心がへこむのは、このビジョンを非現実的であるかのごとき非難を受けたときである。そうした中でも、論理に合わない非難と受け止めるのは、
「○○だからやるべきではない」
の○○が、常識の枠組みを超えていないと思うときである。すなわち、
「リスクが大きいからやるべきではない」
「成功の可能性が少ないからやるべきではない」
「資金がないからやるべきではない」等々。

私は天邪鬼で変わり者かも知れないが、世間の常識ほど、個人の才能の芽をつぶすものはない、と考えている。

確かに、「フーテンの寅さん」並に身内に苦労のかけどおしで来ている、との認識がある私は、それらの言葉を耳にすると、
「そうだな、もうこれ以上、無理はよそう」
と、その時は心からそう思う。
しかし、何か寂しい。自分の魂が喜んでいないことに気づくからである。
生命は、常に何か新しいもの、何か創造的なものを求めて止まないことを、その本質としている、としか私には思えない。

この世に人類が作ったもので、ビジョンなくして生まれたものが一つでもあるだろうか?
船や車や飛行機の類だけではない。衣類や家具やテレビから、大都市の建設まで、全ては人類のお役に立ちたい、美しく楽しく豊かな生活を営みたい、提供したい……という気高き理想からこの世に生まれたのではないか。
何も形あるものに限ったことではない。文学・思想・哲学・芸術も夢の産物ではないか。
人によっては、なぜ、こんなことがわからないのであろうか?

「21世紀は異なる個性のコラボレーション」ではないか。
異なる文化や技術を時に融合、共有合作して発展的な新しい何かをつくりあげることが、過去においても人類の社会への貢献であった。まして、急速な情報化社会の到来は集団間の情報交換のみならず、個人間の情報の共有をも累乗的に加速させている。
これが21世紀の今日的現象であり、今後社会はどのように変化するかわからない。
しかし、人は人との交流によって、自分の能力に磨きをかけ、心・技・体の健全な発達を自覚したとき、生きがいを感じるように思う。

(『まるく通信85号』より一部修正)

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